才能は「与えられる」ものではなく、努力を続けた後に「作られる」ものである。その努力は習慣にしてしまえば継続できる。その習慣を身につける方法はを学べる本です。素敵な本出会えて感謝です。イチローさんもや村上春樹さんも、周りから見れば努力の天才で、努力を継続できる才能をある人にみえる。しかし、どの努力の継続力や才能は「習慣」で身につけることができることを教えてくれます
すべては「報酬」と「罰則」である
すべての行動には、報酬と罰則があるのだなと、改めて思いました。美味しいお酒を飲む(報酬)、飲みすぎると2日酔い(罰則)、お酒を我慢してしっかり睡眠を取った朝のコーヒーの時間(報酬)。ついつい目の前の報酬に飛びついてしまう。将来の報酬が後回しにされる。これは「意志の強い人」はコントロールできるのか、、。
この「報酬」や「罰則」という考え方は習慣にとって欠かせないテーマなので先に一度整理しておきたい。目の前のお菓子を食べることは報酬だが、お菓子を我慢して健康的な肉体や魅力的なスタイルを手に入れることもまた報酬だ。食べすぎた結果太ったり、病気になることは罰則だと言える。目の前の報酬ばかり楽しんでいると、将来の報酬が得られないばかりかいつか罰則を受けるハメになる。人は、取るべき行動自体は知っている。しかし、これがなかなかできない。「これは・・・二日酔いになるやつ!」(罰則)とわかっていても、手にとったワイン(報酬)を止められない。よい習慣を身につけられない原因は、人が目の前の報酬にどうしても屈服してしまうことに原因がある。目の前に報酬がぶら下がっていたとしても、将来の報酬を得たり罰則を避けるために、それを断てる人が「意志の強い人」といる気がするが、本当にそうだろうか?
ぼくたちは習慣で、できている。 著者:佐々木典士
なぜ、将来の報酬を待てないのか?
どうしてわかっていながら目の前の報酬に飛びつくのか?それは人間の脳の仕組みが大昔と大して違いがないからという根拠にとても納得でした。テクノロジーは進化したが、人間の脳は大昔と大きく違いはないということ。
それは狩猟採集をしていた頃の大昔の人間と、現代に生きる人間の仕組みに大きな違いがまだないからだ。人間の文明は5000年程度にすぎず、それは人類史の0.2%にすぎない。だから人間の体や心の99%は狩猟生活に適したように培われいる。種が進化するには、数万年かかる。だから、ぼくたちは大昔に有効だった戦略を今も無意識に取ってしまうわけだ。
社会のゲームのルールは「目の前の報酬に飛びつかず、先にある報酬を得ること」に変更されたのに、プレイヤーの性質は変わっていない。だから「双曲割引」なんていうやっかいな現象が起こる。
ぼくたちは習慣で、できている。 著者:佐々木典士
自己肯定感から意志力が生まれる。
意志力はどこから生まれてくるのか?それは「感情」だという。ポジティブな感情が意志力を強くする。たとえばランニングをすると、自分で決めた行動ができたという自己肯定感が生まれる。自分が決めた習慣がまた継続できたとき、自己肯定感が高まる。その自己肯定感がまた強い意志力を生みだし、新しい行動につながる。これは自分の体験からも納得できる原理だと思う。女性がネイルや美容に時間をかけるのは、同じ原理で強い意志力を生み出ししているもののようだ。
「感情」「自己肯定感」をキーワードに考えればいろんな謎が解ける。マラソンでは、沿道で応援してくれる人たちとハイタッチしたりする。後半になって膝が痛み「もう限界だ」と思っていても、健気に応援してくれる子どもとハイタッチをすれば、もう少しだけがんばろうと思える。誰かが自分を応援してくれているという自己肯定感から意志力が生まれるのだろう。
ぼくたちは習慣で、できている。 著者:佐々木典士
不安は意志力を減らす
意志力を失わされるもの、それは不安やネガティブ感情だという。仕事や生活の不安が、意志力を弱める。意志力が弱まるから、次の課題に取り組めなくなる。そしてまた不安、ネガティブ感情にと悪循環に陥る。多くのひとがポジティブ思考の大切さを強調してるのがこのことからもよく理解できると思う。メンタルの安定は重要だなと改めて思う。
自分が決めたやるべき習慣ができないと、自己否定感や不安が生まれる。そして意志力が失われるので、なおさら次の課題に取り組めなくなるという悪循環にハマってしまう。これを裏付ける「セロトニン」を使った実験がある。セロトニンは、交換神経と副交換神経のバランスを整え、心を安定した状態に保つ働きがある。それがうまく働いていないと人は不安を感じる。実際にうつ病患者の脳内ではこのセロトニンが不活性になっている。人の脳のセロトニンを一時的に増減させた実験によると、セロトニンが少ない時は、目の前の報酬を取ろうとし、セロトニンが多いと将来の報酬を待とうとしたという。セロトニンが少ない状態=不安があると、意志力が失われ好ましい習慣の達成が阻まれるということだ。
ぼくたちは習慣で、できている。著者:佐々木典士
ストレスで暴走するホットなシステム
なぜ不安やネガティブ感情が意志力を弱めるのか?その理由は、脳の仕組みが原始時代から変わらないからだ。脳は不安を感じると、本能的な脳が活性化する(ホットなシステム)。本能的な脳はとにかく感情のまま、目の前の食べ物を食べたり、サボったりする反応をする。狩猟時代に人間が食べ物をとったり、危険から身を守る行動と同じ脳の働きになるということ。意志力の理性的な脳が、本能的な脳にまけてしまう。だから不安やネガティブ感情は、意志力を弱めるのだ。自分自身を振り返ると、仕事でストレスをかかえた時ほど暴飲暴食をしたことがこの脳の働きで理解できる。
不安を感じたり、ネガティブな感情を感じると、本能的なホットシステムが活性化する。ぼくたちの身体の仕組みができあがったのは大昔のことだ。この頃のストレスの原因は、食べ物にありつけるかどうかという不安がほとんどだったに違いない。だからストレスを感じれば、とにかく目の前の食べ物を食べたり、休んだり、サボったりすることが有効な対処法になったはずだ。しかし現代では、少々の仕事のストレスを感じたからと言って、食べ物にありつけないような危機的な状態にはならない。なのにストレスに反応して取る戦略だけは昔と変わらなず残っている。そうなったら本能の出番だ。カロリーをより多く取ったり、嫌なことから逃げて目の前の報酬を取ることが合理的になってくる。暴飲暴食をしてしまったり、次の課題に手をつけられなくなってしまうのはこんなふうに説明できる。
ぼくたちは習慣で、できている。著者:佐々木典士
習慣化=実際に脳を変化させること
習慣化とは、意識しない行動にすること。たとえば、朝トイレにいく、顔洗う、歯磨きする、この朝の行動は無意識。強い意志力にたよることなく、無意識の行動に脳を変えることが習慣化。習慣は「トリガー」「ルーチン」「報酬」の3つの要素で成り立つ。たとえば、出勤する→勉強する→美味しいコーヒー飲む(報酬)のように、3つの要素を結びつくように脳の神経回路を変えることで習慣化していくのだ。自分なりの「ルーチン」「報酬」を上手く脳に刷り込んでいくイメージだ。
習慣を身につけるとは、意志力を鍛え、誘惑を断てるようになることなどではない。自分が感じられる「報酬」を書き換えるということ。何度も何度も行動することで、実際に自分の脳に変化を起こすということだ。
おいしかったレストランにはまた行くし、まずければ行かなくなる。ぼくたちは、行動の結果得られた楽しさや喜びを、何度でも味わおうとする。ドーパミンを媒介して作動するこの「報酬系」と呼ばれるシステムは、古い回路でラットも人間も変わらない。そして食事、セックス、仲間との交流など生存に役立つ行動をすると快感を感じることができる。そしてこの行動と快感の結びつきは、行えば行うほど強化されていく。神経回路のつなぎ目であるシナプスで、信号を受け取る「スパイン」という出っ張りは、何度も信号を受けると、実際に大きく成長する。何かを習慣にすることは、講演を聴いたり、短時間のセミナーに参加して、「意識を変える」ことなどとはまったく違う。繰り返し何度も実践することによって、実際に脳の神経細胞を書き換えることである。
ぼくたちは習慣で、できている。著書:佐々木典士
努力と我慢をわけて考える
習慣化を考えるとき、努力と我慢の意味を整理したほうがよい。努力には報酬があり、我慢には報酬がない。イチローは他の選手の倍以上の練習をしていたが、本人は努力をしていないと言っている。それは努力に見合ったイチローなりの報酬があったから習慣化できていたのだ。習慣化できたから本人は努力と感じていないのだろう。自分なりの報酬をみつけ習慣化したことが、偉大な結果をもたらしたのだろう。
「努力」は支払った代償に見合った報酬がしっかりあること。「我慢」は支払った代償に対して正当な報酬がないこと。努力か我慢かを分けるポイントは、受け取る報酬が支払う代償に見合っているかどうかのほか、それを「自分で選んでいるか」という点にもある。自分で選んだやりたいことをするのに必要な忍耐が「努力」。自分で選んでおらず、やりたくないことをさせられる忍耐が「我慢」。と言うこともできる。習慣が続くのは、それが自分で選んだ行動だからだ。「好きなことなら続く」と言われるのは、たとえ苦しみがあっても、自分が納得して選んでいるからだ。
ぼくたちは習慣で、できている。著書:佐々木典士
自分基準の努力でいい
自分のベスト尽くすことがなにより大切なんだと思える素敵なエピソードだ。誰かに勝つとかではなく、自分自身に勝つことが何よりも価値があるだと思う。自分の得意分野を理解して、そこを徹底的に伸ばすことに時間とエネルギーをかけることが幸せにもつなるがるのだと思う。得意分野であれば、苦しい我慢はなく、努力の先の報酬があり、習慣化できるのだと思う。
中学の体育教師、フィル・ローラーは、体育の授業の測定に「心拍数」を取り入れた。そしてある時、11歳の女の子に心拍数をつけて走ってもらった。彼女は運動が苦手だったので、タイムは良くなかった。しかしタイムではなく、心拍数に注目すると話が一転する。心拍数は一般的に220から自分の年齢を引いた値を理論上の最大値とみなす。そして、その心拍数の記録を見たローラーはわが目を疑う。彼女の平均心拍数が187を記録していらからだ。11歳ということは、最大心拍数はおおよそ209。そしてゴールした瞬間には心拍数は207まで上がっていた。つまり彼女は全速力で走っていたことになる。早いタイムで走ることと、自分のベストを尽くしていることは別だ。このエピソードはなぜか何度読んでも涙が出てきてしまう。運動が苦手なその女の子は、胸を潰しそうにしながら、誰よりも懸命に走っていたのだ。
ぼくたちは習慣で、できている。著書:佐々木典士
最大の報酬は、自分を好きになれること
自分がやると決めたことを1日ひとつでも達成できると、自己肯定感があがると実感する。自己肯定感があがると、ごきげんになる。そして周りにやさしくなれる。自分の決めた習慣化は良い循環を生むと思う。
ある若い女優の言葉で忘れられないものがある。それは「がんばる自分は好きになれる」という言葉だ。習慣を達成することで得られる報酬いろいろあるが、最大の報酬は自己肯定感、自分を好きになれることではないかと思う。
ぼくたには習慣で、できている。著者:佐々木典士
そこそこ幸せで、そこそこ不幸
当たり前のようなことだけど、このマインドを持っていることは大事だと思う。そこそこ幸せがあれば、十分なんだと思う。いまこの瞬間が健康でごきげんであればよいのだ。不安や悩みはつきない。ただそれを過剰に恐れてもしかたない。なんとかなるもの。そんなスタンスを保ちつづけたいと思う。そのためにも自分が決めた習慣を継続することが大切になると思う。
生きていくには、イチゴ畑があれば充分だし、新たな挑戦もせずに済むので楽なはずだが、それでは人は飽き足らない。生物学的な説明はこうだ。持っているもの(イチゴ畑)を過剰に評価していると、環境が変わったときに生き残れなくなる。そして新たな糧を見つけることができれば、イチゴ畑がダメになっても生き残れる。だから新しいもの、次の新しいものを人間は求める。悩みや不安。それは自分の問題と捉えるより、生まれつき人に備わってしまっている仕組みだと考えたほうがいい。安心して眠れ、不足なく食べられて、気の合う友人や愛する人がいる。それを満たした後は、どこまで行っても、そこそこに幸せで、そこそこ不幸なのだ。
ぼくたちは習慣で、できている。著者:佐々木典士